遥かなるタホ。

夏休みはどうしようかなと思っていた時に、アメリカへのお誘い。

パスポートの期限は、ちょうど旅程の終わりと一緒。

仕事はどうにでもなるし、それより大事なことがあるし、これも縁かなと、California へ。

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あっさりとイミグレーションを抜けると、もうそこはアメリカ。

ピックアップトラックが行き交うストリート。

ああ、そうだ。

半日で来れるんだ。

意外と近いだよなぁということを思い出す。

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Sunjose 空港でレンタカーを借りて、South Lake Tahoe まで、約四時間。

仲間との笑い話や絶景を眺めている間に到着。

地形的な距離が遠くても、心の距離が近ければ、時間は感じないらしい。

鳴りを潜めていたワクワク感が止まらない。

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そんな有様だから、明日のことは気にせずにクライミング

何でもいいから、登れればいいかと思って、気が向くままに。

初日の夜から筋肉痛が始まり、二日目にはもうクタクタ。

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中日は、アクティブレストというよりは、ツアーの目標だったMt. Tallacへハイキング。

コースは16km、標高差1,003m。

自分には厳しいかと思っていたけれども、仲間に見送ってもらっての挑戦。

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ガレ場はあるけれども、足は止まらないし、息は上がらない。

美しい湖を眺めながら歩いてるうちに、頂上へ。

あっけなく着いてしまってポカンとする。

一方、それくらいの力があったことが嬉しい。

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また翌日からはボルダリング

仲間がガンガン登っていく姿に触発される。

意地になってトライしてみると、V7、V8が登れる。

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この感覚を忘れていた。

上に行きたいなら、まず目指すこと。

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ツアーも終盤なので、初日に感触の良かったAmerican gladiator に目標を絞る。

午前中は雨だったけれども、午後からは陽が差し、気温も低い。

絶好のコンディションの中、バランシーな下部は安定するけど、もう一手が出ない。

久しぶりに、悔しいという思いが込み上げてくる。

悪態はつくようになってきたし、日も暮れてきたし、指は穴が開いてるし、ラストトライ。

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不思議と体は動く、足も上がる、指は痛くない。

スリットを握った左手の指皮か剥がれるのを感じながら、もう一手を出す。

早る気持ちを押さえて、かかりの良いスローパーを押さえて、頂上へ。

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V9なんてグレードは今の時代は大したものではないけど、それが今の自分の限界。

ツアーという中で、プッシュアップ出来たこと。

それよりも自分の視線が上向いたのが、一番の成果かもしれない。

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ツアーに来るまで、自分に対して諦めが多かった。

もう海外には行けないんじゃないか。

自分には高い山は歩けないんじゃないか。

難しいグレードは登れないだろうなと。

でも、そんなことない。

また行けるし、まだ歩けるし、まだまだ登れる。

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上を向いていていいんだ。

そんな思いにさせてくれたツアー。

一緒に行ってくれた仲間達へ、心からありがとう。

食って、寝て、登って、笑う。

そんな短調なルーティンだったけれども、この一週間をずっと忘れない。

また、いずれ、何処かへ。

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一つだけ。

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この世を喜ぶ術をたった一つでも知っていれば、どんな苦しみも哀しみも帳消しにできる。生きるってのはきっとそんなものなんじゃないでしょうか-星落ちてなお

 

どちらかというと、トランクにいろんな物を押し込めるたち。

仕事も、休日もギュウギュウに詰めたがる。

上手にパッキング出来れば清々しく過ごせるのだけれども、なかなか上手くいかない常々で。

どうも、最近は毒々しい毎日。

 

ミニマリストとはいかないけれども、少し荷物を整理しなきゃいけないのは分かってる。

そうすれば、ウルトラライトハイキング。

日々の足取りが軽くなるかもしれない。

 

とはいえ、あれも、これも捨て難い。

優柔不断な自分にはなかなかポイっとゴミ箱に放れない。

だから、無理して捨てるのはやめた。

また、その日までとっておこう。

 

今は出来なくても、いつか出来る日はくる。

時と場合。

それを待って、とりあえず箪笥にしまっておく。

もし、やりたいことが箪笥の中でカビが生えたたら捨ててもいいし、胞子を払えばやれることならやればいいし。

 

とりあえず、今日は一冊の本を読んで、一つのボルダーを打ち込んで、友達とご飯を食べて、寝よう。

それで、今日も一日、生き延びよう。

偶然はつねに美しい。

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世の中、偶然が重なって出来ている。

タイミングが少しでもズレたら、起こり得ないことばかりだ。

 

午前中は、寒さと雪を言い訳に、こたつでグズグズして、チャーハン作って食べて。

お昼過ぎに、岩場に向かう。

こんな天気じゃ、誰もいないだろうなと。

 

車が一台あるけれども、知らない人だろうなと降りていくと、見覚えのある顔。

私も昼に来たばかりなんですと、軽めのあいさつもそこそこに。

お互いに、名前を言い出せないまま、ビレイをし合う。

 

帰り際、〇〇さんですよね、△△くんだよねと名を呼び合う。

10年ぶりくらいだろうか。

キビキビと朝から来てたら、会わなかったかもしれない。

再会は、必然といえば必然だったのかもしれないけれども、偶然ということにしておこう。

 

連絡先も交換しなかったし、また会えるかもわからないけれども、またどこかで。

See you down the road.

偶然はつねに美しい。

メモること。

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iphoneを新調するか惑っている。

何年前に買ったかを忘れていたセブン。

2倍のフォーティーンが出たら更新しようかなんて思っていた。

愛着もあるし、まだいいかななんて思っていたけど、充電ができなくなり、ついに潮時。

なかなか踏ん切りが付かなかった理由が読書メモ。

この記録が失われるのは、大きな損失だなと。

 

メモの文字数、104,304文字。

一桁間違ってんじゃないかと、目を疑ったけれども、コツコツとメモってきたんだなと思うと感慨深い。

キーワードを入れて検索すると、どの本で読んで、何を想ったかを振り返れるのが嬉しかった。

涙したポエム、痺れたセリフ、心が躍ったセンテンス。

ポケットにそれらの言葉が入っていると思うと心強い。

それらの言葉は自分の伴侶で、いなくなってしまったら生きられないなと不安で仕方なかった。

 

そんな懸念は、クラウドでバックアップと復元ができるとわかり、遥か彼方へ。

原稿用紙260枚分の言葉は、いつまでも我と共に。

これからもパチパチとメモろう。

 

メモを「書く」から「打つ」に手法が移行してから何年か経つけれども、どちらもメリット・デメリットがある。

鉛筆を握った方が記憶には残るし、画面をタッチした方が記録には残る。

どっちが良いかはそれぞれなんだろうけど、いずれにせよ自分の心に留める手法には変わらない。

結局、紙でも、データでも、SNSでも、何でもいいんだと思う。

メモりたい時、好きなようにメモろう。

小さなことにクヨクヨしようよ。

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クヨクヨしながら生きている。

やれば良かったとか、何でやってしまんだろうと。

人生を二分するような大それたことではなく、日々の生活での些細なことで。

それがなかったら、別の人生を歩めたような気がする。

だけど、そうしてきたから、今の自分があるとも言える。

 

R399。
20歳の時にチャレンジしていて、ワンテンのままで、心に引っかかっていた。

マントルムーブが怖いし、フィジカル不足でつなげるのは厳しいなぁという印象だった。

そのうちに、紐を結ぶことから遠ざかり、身体も、気持ちも何処かへ。


40歳手前に、重い腰を持ち上げた。

リベンジのファーストトライはボロボロで、手を出さなきゃ良かったと後悔した。

とはいえ、件のマントルムーブには、若かりし頃ほどの恐怖は感じない。
ようやくワンテンまで漕ぎ着けた時には、前哨戦であるルートの途中でテンションをかけているだけと気付く。

あとはフィジカルだなと、とにかく体を動かす。

 

悲しいかな、若い頃より身体的なフィジカルは落ちている。

だけれども、精神的なフィジカルは伸びている。

「手を出したからには」と「やらなきゃ良かったなぁ」という思いを交錯させながらトライは続く、続けと願う。

何で、あと一手を出さなかったんだろうとか、あのムーブをしなきゃ良かったのにとクヨクヨしながら、アプローチを下りては上る。


後悔しないように生きろ。

そんな風に言われたこともあるし、そうできたら良いなと思う。

でも、生きていく上で、多かれ少なかれ後悔は切り離せないものな気がする。

後悔無しの人生なんて、とも感じる。

 

約20年の時を経てのRPは、

後悔が無かったら、再チャレンジも無かった。

小さなことにクヨクヨしようよ。

それでいいよと自分に言い聞かせる。

他人からしたらめんどくさい奴だし、自分でも自身に疲れるけれども。

クヨクヨした人生もそう悪くない。

過程。

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一年前からトライしていた課題を完登した。

「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」

ノムさんがそんなことをボヤいてた。

出来ないと頭を抱えるものだけど、出来るとあっけないもの。

やり遂げた時に、一抹の寂しさすら覚えた。

 

もういいや。と下山する日々。

捻挫はするし、ズボンは破けるし、指を痛めるし。

なにくそ。とトレーニングする毎日。

体重落として、握力鍛えて、イメージトレーニングして。

 

そんな時間が楽しかった。

だから、あっさり登れた時には、嬉しい反面、寂しくもなった。

時間をかけて作った料理を一瞬で食べてしまったような感覚。

 

何が実を結んだのだろう。

数キロの減量が意味があったと思わないし。

100円ショップのハンドグリップが効果があるかは疑問だし。

イメージと違うムーブだったし。

わからないけれども、頑張ったこと、登れたことは事実だから、まあいっかという結論に行きつく。

 

でも、登れなかったり、あきらめたりしても、良かったんだと感じる。

やろうと考えた思いや、そこに至るまでの経験や時間は残るから。

成否はともかく、結果までの過程が楽しいから。

そう考えると、今までいろんなことを出来なかった自分、あきらめた自身を許せるような気がする。

この一年間は、充実した時間だった。

 

とはいえ、登れた気分はやっぱり最高。

素直に喜ぼう。

そこのみにて光り輝く。

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好きなことは嫌いになれない。

物事が長続きするのは、そういう理由だと思う。

この手の人は、二つのタイプに分かれる。

「好きこそものの上手なれ」と「下手の横好き」。

どうやら、自分は後者のようだ。

 

傍目からすると、ダラダラやっているように見えるかもしれない。

それだってすごいことなんだなと気がついた。

だって、客観的に考えて、結果が出ないのにいつまでも続けるってキツいから。

だけど、楽しく笑って続けている。

本当に好きなものを見つけたって証拠ではなかろうか。

 

好きなものに、誠実に向き合ってきたのなら、もう嫌いにはなれない。

苦しかったことを差し引いても。

嫌いになれないのならば、そのまま好きでいればいい。

たとえ、上手くも強くもなれなくても。

 

好きなことを自分のできる形で続けていけばいい。

そう考えたら、歳をとろうとも、立場が変わろうとも、ずっと楽しめる気がする。

なるべくなら、上手くて強くなりたいけれども。

楽しいとニコッと笑う。

それが、下手の横好きが輝く時なのかもしれない。

昔より、今のオレは光っているような気がする。