偶然はつねに美しい。

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世の中、偶然が重なって出来ている。

タイミングが少しでもズレたら、起こり得ないことばかりだ。

 

午前中は、寒さと雪を言い訳に、こたつでグズグズして、チャーハン作って食べて。

お昼過ぎに、岩場に向かう。

こんな天気じゃ、誰もいないだろうなと。

 

車が一台あるけれども、知らない人だろうなと降りていくと、見覚えのある顔。

私も昼に来たばかりなんですと、軽めのあいさつもそこそこに。

お互いに、名前を言い出せないまま、ビレイをし合う。

 

帰り際、〇〇さんですよね、△△くんだよねと名を呼び合う。

10年ぶりくらいだろうか。

キビキビと朝から来てたら、会わなかったかもしれない。

再会は、必然といえば必然だったのかもしれないけれども、偶然ということにしておこう。

 

連絡先も交換しなかったし、また会えるかもわからないけれども、またどこかで。

See you down the road.

偶然はつねに美しい。

メモること。

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iphoneを新調するか惑っている。

何年前に買ったかを忘れていたセブン。

2倍のフォーティーンが出たら更新しようかなんて思っていた。

愛着もあるし、まだいいかななんて思っていたけど、充電ができなくなり、ついに潮時。

なかなか踏ん切りが付かなかった理由が読書メモ。

この記録が失われるのは、大きな損失だなと。

 

メモの文字数、104,304文字。

一桁間違ってんじゃないかと、目を疑ったけれども、コツコツとメモってきたんだなと思うと感慨深い。

キーワードを入れて検索すると、どの本で読んで、何を想ったかを振り返れるのが嬉しかった。

涙したポエム、痺れたセリフ、心が躍ったセンテンス。

ポケットにそれらの言葉が入っていると思うと心強い。

それらの言葉は自分の伴侶で、いなくなってしまったら生きられないなと不安で仕方なかった。

 

そんな懸念は、クラウドでバックアップと復元ができるとわかり、遥か彼方へ。

原稿用紙260枚分の言葉は、いつまでも我と共に。

これからもパチパチとメモろう。

 

メモを「書く」から「打つ」に手法が移行してから何年か経つけれども、どちらもメリット・デメリットがある。

鉛筆を握った方が記憶には残るし、画面をタッチした方が記録には残る。

どっちが良いかはそれぞれなんだろうけど、いずれにせよ自分の心に留める手法には変わらない。

結局、紙でも、データでも、SNSでも、何でもいいんだと思う。

メモりたい時、好きなようにメモろう。

小さなことにクヨクヨしようよ。

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クヨクヨしながら生きている。

やれば良かったとか、何でやってしまんだろうと。

人生を二分するような大それたことではなく、日々の生活での些細なことで。

それがなかったら、別の人生を歩めたような気がする。

だけど、そうしてきたから、今の自分があるとも言える。

 

R399。
20歳の時にチャレンジしていて、ワンテンのままで、心に引っかかっていた。

マントルムーブが怖いし、フィジカル不足でつなげるのは厳しいなぁという印象だった。

そのうちに、紐を結ぶことから遠ざかり、身体も、気持ちも何処かへ。


40歳手前に、重い腰を持ち上げた。

リベンジのファーストトライはボロボロで、手を出さなきゃ良かったと後悔した。

とはいえ、件のマントルムーブには、若かりし頃ほどの恐怖は感じない。
ようやくワンテンまで漕ぎ着けた時には、前哨戦であるルートの途中でテンションをかけているだけと気付く。

あとはフィジカルだなと、とにかく体を動かす。

 

悲しいかな、若い頃より身体的なフィジカルは落ちている。

だけれども、精神的なフィジカルは伸びている。

「手を出したからには」と「やらなきゃ良かったなぁ」という思いを交錯させながらトライは続く、続けと願う。

何で、あと一手を出さなかったんだろうとか、あのムーブをしなきゃ良かったのにとクヨクヨしながら、アプローチを下りては上る。


後悔しないように生きろ。

そんな風に言われたこともあるし、そうできたら良いなと思う。

でも、生きていく上で、多かれ少なかれ後悔は切り離せないものな気がする。

後悔無しの人生なんて、とも感じる。

 

約20年の時を経てのRPは、

後悔が無かったら、再チャレンジも無かった。

小さなことにクヨクヨしようよ。

それでいいよと自分に言い聞かせる。

他人からしたらめんどくさい奴だし、自分でも自身に疲れるけれども。

クヨクヨした人生もそう悪くない。

過程。

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一年前からトライしていた課題を完登した。

「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けなし」

ノムさんがそんなことをボヤいてた。

出来ないと頭を抱えるものだけど、出来るとあっけないもの。

やり遂げた時に、一抹の寂しさすら覚えた。

 

もういいや。と下山する日々。

捻挫はするし、ズボンは破けるし、指を痛めるし。

なにくそ。とトレーニングする毎日。

体重落として、握力鍛えて、イメージトレーニングして。

 

そんな時間が楽しかった。

だから、あっさり登れた時には、嬉しい反面、寂しくもなった。

時間をかけて作った料理を一瞬で食べてしまったような感覚。

 

何が実を結んだのだろう。

数キロの減量が意味があったと思わないし。

100円ショップのハンドグリップが効果があるかは疑問だし。

イメージと違うムーブだったし。

わからないけれども、頑張ったこと、登れたことは事実だから、まあいっかという結論に行きつく。

 

でも、登れなかったり、あきらめたりしても、良かったんだと感じる。

やろうと考えた思いや、そこに至るまでの経験や時間は残るから。

成否はともかく、結果までの過程が楽しいから。

そう考えると、今までいろんなことを出来なかった自分、あきらめた自身を許せるような気がする。

この一年間は、充実した時間だった。

 

とはいえ、登れた気分はやっぱり最高。

素直に喜ぼう。

そこのみにて光り輝く。

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好きなことは嫌いになれない。

物事が長続きするのは、そういう理由だと思う。

この手の人は、二つのタイプに分かれる。

「好きこそものの上手なれ」と「下手の横好き」。

どうやら、自分は後者のようだ。

 

傍目からすると、ダラダラやっているように見えるかもしれない。

それだってすごいことなんだなと気がついた。

だって、客観的に考えて、結果が出ないのにいつまでも続けるってキツいから。

だけど、楽しく笑って続けている。

本当に好きなものを見つけたって証拠ではなかろうか。

 

好きなものに、誠実に向き合ってきたのなら、もう嫌いにはなれない。

苦しかったことを差し引いても。

嫌いになれないのならば、そのまま好きでいればいい。

たとえ、上手くも強くもなれなくても。

 

好きなことを自分のできる形で続けていけばいい。

そう考えたら、歳をとろうとも、立場が変わろうとも、ずっと楽しめる気がする。

なるべくなら、上手くて強くなりたいけれども。

楽しいとニコッと笑う。

それが、下手の横好きが輝く時なのかもしれない。

昔より、今のオレは光っているような気がする。

後天的。

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人と接していると、自分のセンスの無さを垣間見る。

センスとは、物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働きや感覚。

鍛えられるものであるけれども、もともと備わっているものな気がする。

 

振り替えると、自分は先天的なものが乏しかったと思う。

長年、同じ趣味や仕事をしていると、それが鼻につく。

追い越されたり、取り残されたりする度に、センスの無さを感じる。

これまで、やってきてこんなもんかと。

 

でも、こんなもんっていうのが、ささやかながらも、努力して身につけたものなんだと愛おしい。

小さな事なんだけど、体に息づいているのがわかるから。

先天的なものが少ない分、後天的に手に入れたものが豊かっていうのも悪くはない。

 

それは、ほんの小さな物事かもしれないけれども、"まあいいや"って思う。

だって、オレは、その"まあいいや"を身に纏って何とか生きてきたから。

ま、これからも、ノーセンスでやっていこう。

地ジャンという発想。

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パスカル曰く、人間は考える葦である。

多分、クライマーはムーヴを考える人なのではないかと思う。

自分のアイディアは大抵、的外れで、見当違いなので修正に修正を加える。

トライアンドエラーの繰り返しだから、ピタッとハマった時の爽快さが何とも言えない。

 

10年以上、通っている岩場。

いつもは、素通りしていた岩。

ふと見上げるとホールドに目が付く。

とはいえ、地上からは届かないし、どうしたもんかと考えた挙句、飛びついてみる。

ヨセミテで地ジャンスタートの課題登ったことを思いだして。

どうやら、ぶら下がってスタートできそうだ。

自然と口角は上がっていく。

 

スタート後も、ムーヴに四苦八苦。

落ちる度に、レストしては考える。

手順、足順、スタンス。

間違いを繰り返しながら修正していく。

グレード的には二級くらいだろうし、登るまでに回数はかかったけれども、有意義な時間だった。

想像することを忘れないこと。

その大事さが身に染みる岩登りだった。

 

考えることは、合否より大事なことかもしれない。

結果はどうあれ、考えたことは残るから。

地ジャンという発想に至るまでの10年は長過ぎた気もするけど、その10年の月日がなければ思いつかなかったような気もする。

まあ、気長に行こう。

そして、気楽に。

たまに、休んで。

悩みは深く、決断は早く。