自分のやりたいことを追求する。
誰かに、成し遂げたいわけでもなく、認められたいわけでも、勝ちたいわけでもなく。
それがモチベーションの原石なんだと思う。
「登りたい課題が、登れた後に、その課題が難しかったらいいよね。」
そう諭されたことがあるけれども、わかったようでわかってなかった。
でも、ようやく腑に落ちた。
結果なんて、後から付随してくるものだ。
どうにか登れないものかと思っていたカンテ。
試行錯誤しているうちに、ピカッとひらめく。
壊れそうなフレークを使えばいけるんじゃないかと。
叩いてみても音は重い。
ランディングは悪くなるけど、大丈夫だろうと高を括る。
予想通りに、マントル体制に入った直後。
「あっ」と思った時には後の祭り。
木に引っかかれ、岩にすりおろされる。
いつもは、変な落ち方をしたら終わりにするのだけれども、気持ちも、アドレナリンもひかない。
パンプした腕を伸ばし、呼吸を整え、登り返す。
件のフレークをアンダーで引きながらリップをとらえる。
その瞬間、フレークが浮く。
冷や汗をかきながら、岩上に立つ。
登りたい課題は、たまたま高く、ランディングが悪い2級だったんだなぁという自己満足感に満たされる。
グリコのおまけのように、登れてからグレードも理由もついてくる。
そんなもんなんだな。
やろうと思った時には、まだわからないものだらけ。
画一的な価値観を意に介さず、評価基準を自分でつくり、自分で「美しい」と認めるものを追求するのがアカデミズムの世界です。それはもう美学の領域であり、個人的な美学を追求している以上、他人にどう思われようが気にならない。
「日本進化論」落合陽一
人に合わせなきゃいけない物事もあるけれども、自分の美学を追求すべき物事もある。
そのためには、自分の美学がなにかを知ることから。
ハードさなのか、スリルなのか、リスクなのか、何なのか。
少しわかった気がする。
「美しいと感ずるもの」は、その人の固有のもの。
自分の美学を大切にする以上、他人の美学を尊重しなくてはならない気がする。
少なくとも邪魔をしないように。
法律や社会のルールを犯さない限り。
腕に切り傷、肘にすり傷、心に気付きが残ったカンテでした。